天気雨

  L'Écume des jours

赤目四十八滝心中美水

綾ちゃん、お元気ですか?

あの時、綾ちゃんの凜とした決意に、あたし励まされたんだよ。
迦陵頻伽を、あたしは胸に刻んだんだよ。

だからね、あたし旅に出たんだ。もちろん一人で。

心配なんてしないでね(でも、あたしは綾ちゃんのこと、いつも心配してるけど)元気に生きてるよ。生きるってこと、生かすってこと、コンチクショウまだまだ!って、あたし思えるようになったんだ。

ほら、あたしいつも「眠り」に逃げ込んでたでしょう?うとうとと、誰かの口づけを待ってたでしょう?柄にもなくオーロラ姫に憧れてたんだ、たぶん。

でもさ、綾ちゃんに学んだんだよ。

あたし、綾ちゃんに学んだんだ。

だから今、すごく幸せだよ。

サビシイも、セツナイも、クルオシイも、ぜーんぶ、ひとつ残らず、この胸ん中沁み込ませてさ、綾ちゃんみたいに、背すじ伸ばしてさ、

まだまだ歩いてんだ。

ありがとう、綾ちゃん。

桜並木

「もう、傷つきたくないの」

そう言いながら彼女の瞳は少しだけ迷っているようだった。傷つくのは辛い。でも本当に辛いのは、傷つくに至る事象ではなく、何かを諦めることによって決定づけられる自身の未来の姿なのかも知れない。

本当は怖いのだ、すごく。私たちは怖がりだ。そう、いつだって不安で不安でしかたない。

「今年の桜も終わりだね。でも、また来年も咲くんだよね。次の年も、またその次の年も」

彼女は、はらはらと散りゆく桜の木の下で立ち止まり、目尻を下げ柔和に儚げに笑う。そうして、かすかに揺れる春の空気を、私たちはゆっくり確かめるようにして吸いこむ。静かに。それぞれに。

あなたがまだ私の世界にいなかったころ

あの日、私とあなたは春日の曼荼羅を見ていた。丸い月と、鹿と、春日山

美術館に併設された庭園の枯葉の中を、さくさくと音を立てながら歩き、柿の木の下で立ち止まる。

「柿、子どもの頃から食えないんだ。夕陽みたいな色は好きなのに」

と、あなたは私の肩を引き寄せた。

もう忘れてしまっただろうか。

あなたの曼荼羅と私の曼荼羅が、少しだけ重なった日。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

水際をゆっくりと歩いていると思うのだ。あなたもまたそうして歩きながら時折ふと思い出したように左岸を眺める。私が右岸を眺めるようにして。

川の美しい街だった。

流れに沿って歩く我々はどこに向かっているのだろう。少しだけずれた歩調を気にするのはやめて対岸の気配だけ感じることができればきっと橋が架かることもあるだろうと水面に映る空を見た。

風も吹くなり 雲も光るなり

空白に向かい言葉を奏でる

光あるところで、それは透明になる

光なきところで、それは群青を帯びる

いかようにでもなろう

いかようにでもあろう

それが空白を埋めつくす頃きっと

何かが呼吸をはじめるのだろう